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スポニチの報道によりますと、明るく奔放なキャラクターで「女子アナブーム」の火付け役となった元フジテレビアナウンサーの有賀さつきさんが死去していたことが4日わかりました。
病気だったのでしょうか?死因は?気になりますよね。調べて見ました。
亡くなったのは1月末。なんと52歳の若さでした。詳しい死因などは現時点では明らかになっていませんが、昨年から闘病していたといいます。同紙の報道によれば、葬儀日程など詳細は明らかになっていませんが、元夫でフジテレビ解説委員を務めた和田圭氏には訃報が伝えられているといいます。
アイドルアナの先駆者らしく病気を公表せず、最後まで笑顔でテレビに出続けたといいます。有賀さんは「花の三人娘」と呼ばれ、貴乃花親方夫人の花田景子さん、八木亜希子アナと共に、フジテレビ黄金期を支えました。
若いころ
有賀さんは4日未明の日本テレビの通販番組「日テレポシュレ」にも昨年収録済みの映像で出演していただけに、驚きです。昨年10月、バラエティ番組「あいつ今何してる?」に都立九段高の同級生らと出演した際には、いつもと変わらない明るい表情を見せていたものの、青春時代を懐かしんで涙するシーンも。親友だった同級生に「アリ、頑張ってね」と言葉をかけられた時、歩んできた人生の思いが交錯したのか、人目をはばからず、大粒の涙を流していたといいます。
有賀さんは九段高校時代から、1メートル70の長身と持ち前の美貌で、同級生が「他校から見に来る生徒がいた」と伝説を語るほどのマドンナ的存在だったといいます。88年にフジテレビに入社、瞬く間にアイドルアナに駆け上がりました。華やかなルックスだけでなく、当時絶好調だったフジが掲げた「楽しくなければテレビじゃない」を体現するチャーミングな言動で絶大な支持を得ました。
その象徴となったのが“旧中山道事件”です。91年に出演番組「上岡龍太郎にはダマされないぞ!」で、他局の女子アナが「いちにちじゅうやまみち」と読み間違えたことを取り上げた際「この“きゅうちゅうさんどう”ですよね」と自分も間違える想定外の展開にスタジオは大爆笑。女子アナのタレント化は民放全体に広がっていった。
電撃退社もいまや伝説。92年にわずか4年でフジテレビを去り、フリーに転身。いきなりテレビ朝日の看板番組「ミュージックステーション」でサブ司会を務めるなど、フリーになった女子アナが芸能界でも活躍できる道を開いたといいます。
私生活では、95年に芸能事務所社長との不倫が発覚。会見で「ご家庭があって申し訳ないという気持ち以上にどうしようもない愛を感じる」と発言し世間の注目を集めました。
その後02年にかつて上司だった和田氏と結婚しますが、06年に離婚。「夫婦だったけど上司だった」「彼とは言語が違った」の率直な言葉でまたも世間の度肝を抜きました。
死因はがんだったのではと噂されています。かつらをつけてテレビに出ていたとの報道もあり、だとすれば、抗がん剤治療を受けていた可能性もあります。続報が入り次第お伝えします。
現在の女子アナブームの基礎を作り上げた一人である有賀さん。そのロールモデルはアメリカのNBCテレビが美人女性キャスターを多数そろえて視聴率競争に勝利したことにあるとされていますが、当時の日本はアナウンサーといえば、NHKのごく少数の女性アナウンサーを除けば“男性の仕事”でした。日本でそれを実現した先駆的な女性でもありました。あまりにも早い旅立ちに
合掌