「わろてんか」の人気を影でけん引したのが高橋一生さん演じる伊能栞。実はそのモデルとなった人物がいた!

明日最終回を迎えるNHKの朝ドラ「わろてんか」。ドラマの人気をけん引したのが葵わかなさん演じる主人公、てんを支え続けた高橋一生さん演じる伊能栞でしたが、実はそのモデルとなった人物がいるのです

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お世話になります。米国株投資に掛けるアラサー女子のベン子です。

葵わかなさん演じるヒロインの藤岡てんは、吉本興業の創業者吉本せいがモデルです。明治後期から第二次世界大戦終了直後の大阪を舞台に、寄席経営に挑む姿を描いて大人気となり、放送当初は評価がいまいちでしたが、徐々に視聴率が向上し、2月16日放送の114話では、最強瞬間視聴率22.5%を叩き出しました。その視聴率を陰でけん引したと言われているのが高橋一生さん演じる伊能栞でした。

ヒロインの藤岡てんのモデルが、吉本興業の創業者吉本せいであるように、伊能栞にもモデルが存在しており、宝塚や夏の甲子園を考案した阪急阪神東宝グループの創業者である小林一三氏と言われています。関西圏の方でしたらご存知かもしれませんが、あまり全国区の知名度のあるかたではありませんが一体、どんな人物だったのでしょうか。

小林一三氏とはどんな人物だったのか?

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小林一三氏は、本業を発展させながら、情報、レジャー、文化というコンセプトを次々に生み出し、グループ全体の付加価値を高める。現在の情報文化産業の生みの親と言われています。

熱狂的な根強い人気を誇る「宝塚歌劇団」を頂点とし、そこで活躍する「タカラジェンヌ」を次々と生み出す「宝塚音楽学校」。昨日、今年の合格発表があり、24倍を超える超難関入試を突破した未来の「タカラジェンヌ」がニュースで報道されていました。

そして日本のハリウッドを目指した「東宝映画」、新聞社を巻き込んだ「夏の高校野球」といったイベントを次々と考案し、ビジネスとして発展・成長させた天才的起業家なのです。

小林氏は明治25年に慶応大学の前身である慶應義塾正科を卒業。三井銀行に入行します。34歳まで勤め東京本店調査課主任にまで昇進しますが、日露戦争終結後、三井物産の大物である飯田義一や、かつての上司で北浜銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)を設立した岩下清周に誘われ、大阪で岩下が設立を計画する証券会社の支配人になるために明治40年三井銀行を退職して大阪へ赴任します。

しかし、恐慌に見舞われ証券会社設立の話は立ち消え。妻子を抱えて早速失業することになってしまうのです。しかし、その時小林氏は阪神電鉄の前身である箕面有馬電気鉄道の話を聞き、電鉄事業には有望性があるとして、岩下を説得し北浜銀行に株式を引き受けさせることに成功。明治40年6月に「箕面有馬電気軌道」と社名を改めて同社の専務に就任します。

ところが、鉄道事業は赤字続き。どん底の経営状態となりますが、小林氏は、斬新なアイデアで都市づくりに挑んで行きます。その一つが日本初の「ターミナル・デパート構想」。当時、駅を商業施設と一体化させる事業は前例がなく、社内は猛反対。それでも「素人だからこそ玄人では気づかない商機が分かる」と譲らず、事業を推進し、阪急百貨店を開店させます。その後、日本各地に広がった駅ビルを商業施設として活用し、まちづくりの中核に位置づける構想は小林氏のアイデアなのです。

さらに、各停車駅周辺の土地を再開発して分譲住宅を建設。日本初の住宅の割賦販売、今で言う住宅ローンを開発して一般サラリーマンが家を買えるシステムを作り上げ、鉄道駅周辺に次々とニュータウンを建設していきます。

そのようにして、鉄道沿線の人口が増加していくの見た小林氏は、家族連れて楽しめるエンタテイメントを鉄道沿線に作り必要を感じ、当時人気のあった三越少年音楽隊をお手本にして、宝塚新温泉にあった温水プールの跡地利用の一環として「宝塚少女歌劇」を設立。現在も宝塚歌劇団に受け継がれるモットー「清く・正しく・美しく」は小林氏の遺訓と言われています。この日本史上類まれなるビジネスマンであった小林氏を高橋一生さんが演じたのですから、朝ドラに深みが出てきて当然でしょう。ちなみに、この小林一三氏に関しては阿部サダオさん主演で2015年9月にNHKでスペシャルドラマ化されています。気になる人はNHKオンデマンドで視聴できますのでチェックしてみてくださいね。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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