【合掌】本田美奈子さん。没後10年以上を経てもなお、輝き続けるその歌声

【合掌】本田美奈子さん。没後10年以上を経てもなお、輝き続けるその歌声

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お世話になります。米国株投資に掛けるアラサー女子のベン子です。

 

本田美奈子さん。

1980年代から90年代にかけてのJ-POPシーンで綺羅星のごとく活躍した彼女。しかし、2005年初頭に急性骨髄性白血病に倒れ壮絶な闘病の末、同年116日、38才の若さでこの世を去りました。

若い方はあまりご存じないかもしれませんが、彼女の歌声は今もなお多くの人を魅了し続け、その生き方は多くの人に勇気を与え続けています。

 

今日はそんな彼女の人生を振り返りたいと思います。

 

 本田美奈子さんは実は演歌歌手志望でした。しかし当時はアイドル全盛期だったこともあり、17才だった彼女は1985年に東芝EMIからアイドルとしてデビューします。

彼女の同期デビューには、中山美穂、南野陽子、森口博子、斉藤由貴、井森美幸、浅香唯、おニャン子クラブなど、のちにトップアイドルになる錚々たる顔ぶれが並んでいます。

そんな中、彼女をトップアイドルに押し上げたのは翌年にリリースされた「1986年のマリリン」でしょう。へそ出しルックで激しく腰を振る振り付で

見る者に強烈なインパクトを与える世界観を秋元 康氏が作り上げ、大ヒットとなります。

当時の女性アイドルは清純派路線が圧倒的に多く、その意味で彼女は異彩を放っていました。しかし、先のように女性アイドルが大勢いた時代。

アイドルとしての賞味期限も当然短く、その後はTVへの露出も減っていってしまうのです。

 

そんな中、彼女は「ミュージカル」に活路を見出します。1990「ミスサイゴン」のオーディションを受け、約15000人の中からヒロインに抜擢されます。

あどけない顔立ち、162cm43kgの折れそうなほど華奢な体からは想像もつかないほどの豊かな声量と伸びやかで透明感のある高音の歌声、演技力が絶賛され、

1992年には第30回ゴールデン・アロー賞演劇新人賞を受賞します。その後、『屋根の上のバイオリン弾き』、『王様と私』、『レ・ミゼラブル』とミュージカルの王道を歩み、その地位を不動のものとしていきます。

楽曲「つばさ」は彼女の高音の歌声が如何なく発揮された名曲中の名曲です。

 

そんな彼女を2005年、突然の病魔が襲います。2004年末から体調不良を自覚していた彼女は年明け早々に病院で検査を受けます。その結果は急性骨髄性白血病。

既に骨髄移植のドナーを待つ余裕すらない状態で、臍帯血移植手術や壮絶な抗がん剤治にも耐えて歌手復帰の希望を最後まで諦めずに病と闘いました。

その過程は没後多くの人に勇気と感動を与え、その歌声は多くの人の心に今も生きています。そんな彼女の生き方に敬意を示し、合掌したいと思います。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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